今、社会で求められる力とは?
子ども達は、小学校から教育を受け、高校や大学・専門学校を経て、社会に出ていきます。学校は社会で活躍するための力を養う場であるわけです。
では、社会で活躍するために必要な力は、国語、算数、理科、社会、外国語なのでしょうか?
これが、考学舎で常に考えてきたことでした。国語力なのか?数学力なのか?英語力なのか?いわゆる科目を基本に、何が一番のベースになるのか、ということを考えているとどうしても話が知識に偏っていきます。そこで、「社会で必要な力」から逆に考えていくことにしました。
社会では、正しい答えのない課題に、一人で、またはチームで挑む必要があります。
これは職業生活においてもそうですし、子育て等家庭生活においても同じです。この「正答のない課題に挑む力」、また「目の前に起きていることから課題を発見する力」がこれからの時代に必要であるということは、経済界においては1980年代から言われていることでありました。
- 新しいアイディアを出すことができない
- 言われたことはできるが、自分から行動できない
- マニュアル通りにはできるが、プラスアルファがない
多くの大人が、若い人に対して悩んできたことです。これは、あらかじめ決まった答えに向けて、道筋をたどる訓練ばかりを重視する学校・受験教育の弊害でありました。決まった答えに対して素早く反応するトレーニングのために、様々な習い事が設定され、子どもは忙しくなりました。外で異年齢グループになって遊ぶ時間がない、ということは、転がっている石ころや木の破片を、離れた年代の仲間たちといかに楽しい遊びにするか、という創造的な訓練、考える訓練を子どもたちから奪いました。
その中で、体育会系が就職に強かったのはなぜでしょうか?チームコミュニケーションができる、今のチームでどう試合に勝つかという正答のない課題に挑むことができる、その瞬間納得がいかなくても一度受け入れてそれを自分なりに解釈できる、など、この子どもの外遊びに少し通じる力を養っていたからではないでしょうか。
では現代において、これらの力を、様々な知識とともに学ぶためにはどうすればよいのでしょうか?
そう、科目はあくまでも教材とし、現在の社会で求められる力を改めて定義し、それを中心に据えた学びを展開する必要があるのです。
変わりつつある高等教育と受験
大学受験をはじめとする各種受験の様式は変わり始めています。総合力入試(AO入試)をはじめ、科目の試験ではない形で生徒の力をはかろうという試みがどんどん増えています。具体的には、面談や小論文、在学中の活動等に光をあてるものが多いのですが、丁寧なところでは、複数日程にわたって一つのプロジェクトを受験生に行ってもらい、その間の行動を観察するような選抜方法を行う学校も出てきました。
これは、各大学、学校がその学校なりに入学時に必要な力(Admisssion Policy)を決めることが増えてきていることが背景にあります。
(文部科学省では、各学校に入口と出口をしっかり定義するよう求めてきました。卒業時に必要な力の定義(Diploma Policy)を行い、それに伴い入学時に必要な力(Admisssion Policy)の定義を行う。その力を問う入学試験を設定する、という流れになってきたわけです。)
おおよそここで共通する力は「知識を活用し、課題を解決する力」です。今までの受験では、その多くが、知識を確認する科目試験を行い面接で人柄を見る、ということでした。それでは、設定したAdmission Policyを満たしているのかどうか判断ができない、ということになったのです。
教養(リベラルアーツ)
ここで、私たちが参考にしたのは「教養(リベラルアーツ)」という考え方です。教養には多くの解釈があります。ギリシャ、古代中国から、中世宮廷文化、そして日本での武士の教養に至るまで、古今東西、時代に応じて様々な定義が行われてきました。多くはその時代に必要な基礎知識や常識を指すことが多いので、時代とともに変わってきました。またこれは大学の1、2年生向けに行われる「教養課程」という言葉にある通り、専門課程を学ぶ上での前提となる力とも考えられています。
ここに、共通するポイントは
「多方面にわたり興味を持ち課題意識を育てられる学ぶ力そのものを指す」
ということではないか、と私たちは解釈しています。
考学舎はそもそも
考学舎は2000年に「考える力を学ぶ場」としてスタートいたしました。
読んだり聞いたりしたことを自分の言葉に言い換えながら正しく理解し、そこから自分にとってそれは何なのか?を考え決断し、それを行動に移せる「自律した大人」を育てることを目標としてきました。
そのために、
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- 【小学生の間に】正しく理解する力をつける
- お絵かき作文や言いかえトレーニング、全文書き取り、算数の文章題作りなど
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- 【小学校高学年からは】様々な素材を通して、理解したことを考え、表現することを学ぶ
- 各科目の逆授業や、新聞記事等から学ぶ時事学など
という大きな二つのステップで、この中に様々な教材を考えながら、国語においては20のステップを設け、授業を進めてまいりました。
普段の授業では今のところ、科目に分けて授業を行っておりますが、授業の中でもたびたび、生徒との間ででも「これは国語なのか、それとも算数なのか?」といった話題になることがあったわけです。報告書をご覧いただく中にもあったのではないでしょうか。
ここをしっかり整理する、という意味合いをこめ、今回、8つの力に再編整理しました。
考学舎が考える、社会で自律的に、幸せに生きるために必要な8つの力
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- 語彙力
- 言葉の数を増やし、知識を増やしていく、知らないことを認識する
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- 読解力
- 理解したことに自分なりの解釈を行い整理していく
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- 理解力
- 新たに入ってくることを自分の言葉に置き換え、正しく身に着けていく
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- 表現力
- 理解・読解したこと、また思考した結果を口頭・筆記等で周りの人に伝える
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- 思考力
- 理解・読解したことを自分なりの結論にまとめていく。抽象化・具体化、そして「なぜ」と自分に問う
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- 想像力
- 理解し読解し、思考したことを自分事にするために、思いを巡らす
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- 共感力
- ほかの人や考え方に対し、受け入れ、それを自分なりに読み取ろうとする
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- 体 力
- 正しい栄養や睡眠をもとに、学ぶ力のベースを整える
これからの考学舎での学び
もちろん今後とも、学校で行われる各科目の学びをおろそかにすることはありません。しかし、この8つの力に着目する形で行なってまいります。
以下に位置付けを簡単にご説明いたします。授業自体は、今までの形、大きくは科目別に実施し、その中で、科目横断の教材を使っていきます。科目の中に「ゼロ時間目」という、科目横断で思考を学び、刺激する時間を増やしてまいります。(すでに生徒によってはこの形に近い形で学びを進めています)
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- 国語(現代文・古典)
- 引き続き考学舎の1丁目1番地、理解・読解・語彙・表現を増やしていく形で行われます。中学以上では、古典についても、理解・読解力の幅を広げ、想像を学べる科目と位置付けます。
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- 算数(数学)
- 四則演算をはじめとする技法の習得はもちろんのこと、これらの力が社会でどう使われるのかをあわせて大切に学んでまいります。また、文章題等については、理解・読解、そして思考・表現をつけられる科目でもありますし、グラフや表を作成しそれを読み解く作業はまさに言いかえの一つの学びであり、高校最後に扱われる微分積分は考える軸を増やす作業と位置付けています。
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- 理科・社会
- 身の回りに興味を持ち課題を見つけること、そしてそこから法則性を見つけていくという流れで理科の各分野を学んでいきます。理科ではすでに定義された事象を扱うことになりますが、社会では今まさに起きている定義されない事象を扱うことになります。新聞記事等を通し、日々考えていきます。理解・読解・思考だけではなく、表現・想像・共感といった部分も大切にしたい分野です。どちらも、数学で学ぶ各技術(割合をはじめ)をどう使いこなすかで、法則性を見つけ考える大きなきっかけとなる科目です。
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- 英語・仏語
- 別の言語は、別の文化・考え方の結果生まれたものであることを意識しながら、考え方の幅を広げること、そしてもちろんコミュニケーションツールとして使えることを目指します。理解・読解はもちろん、表現・思考・想像・共感の部分に多くかかわる科目となります。
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- 図工(美術)・音楽
- 文字ではない表現から、何を読み取るのか、を大切に必要に応じて扱っていきます。ここでは、想像・共感が大きな要素だと思われがちですが、まずは自分なりに理解することが大きな一歩となります。お仕着せではない、理解の方法を学ぶ機会となります。
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- 技術家庭・体育など
- 2020年は、考学舎22年目にして初めてキャンプを実施できませんでした。3食の自炊や共同生活から学ぶことは、理解・読解・思考・想像・共感・体力などはかり知れません。
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- 目標設定・管理(学校の科目ではありませんが)
- 引き続き、1月には書初めとして年間での抱負を考えて頂き、毎月の目標設定と振り返りを大切に進めてまいります。これは、思考・想像・体力を中心に多くの力にかかわる部分となります。
ご覧いただいたように、実は既存の科目は知識や技術の習得に偏りすぎないことでこれから社会で求められる力を学ぶよい材料となります。
考学舎ではあくまで、社会に出てから活躍するために必要な今回定義した8つの力を伸ばすための教材として各科目を扱ってまいります。しかしこれは決して学校での成績をおろそかにするものではありませんし、また結果としては今まさに変わりつつある受験の内容ともぴったり合致しているものであることを申し添えます。