18春の企画「ゲスト講義」

3月24日にゲスト講義を実施いたしました。
この日のゲスト講師は、「かつお舎」代表の永松真依(ながまつ・まい)さん。
永松さんは現在、「かつおぶし伝道師」として全国各地のかつおぶしを求めて「回遊」しつつ、考学舎のある建物の向かいで「かつお食堂」を営んでいます。
食事の中でもなかなか主役には躍り出ないかつお節ですが、そこには奥の深い愛情と味わいが潜んでいることがわかりました。
講義の後に、永松さんにかつおワークショップもしていただきました。

目的: 好きなことを仕事にすることについて考える
日時: 2018年3月24日 14時00分から17時00分まで
会場: 考学舎(渋谷区渋谷1-7-5-503)
ゲスト講師: 永松 真依さん
「かつお舎」代表、かつおぶし伝道師「かつおちゃん」

14:00開始 お話しを伺う

普段は生徒のスケジュールや世界地図、周期表が貼られた教室の壁面に、たくさんの写真が貼られました。どうやらこれは、全国各地の漁場で働く屈強な男たちを写したもの。そして、その写真の中に、漁場とはおよそ似つかわしくないのでは…と思われる、小さな女性の姿がちらほらと映り込んでいます。これが本日のゲスト講師、かつおちゃん。全国の漁場でご自身が撮影された写真を、考学舎の教室に掲示してくださり、その写真からすでにかつおの香りが漂っているようでした。

永松さんのお仕事のご紹介

「KATSUO 100%」とだけ書かれた真っ白なTシャツを身に纏って生徒たちを出迎えてくれたのが、かつおぶし伝道師、永松さん。永松さんは、かつおぶしの良さを世に広めるべく、東京を中心に全国各地を「回遊」しています。しかしながら、なぜ考学舎とはあまり繋がりがなさそうな方がこうしてゲスト講義に…?実は永松さん、現在は「かつお食堂」という、かつおぶしをメインに据えた食事を提供するお店を展開しているのですが、その「かつお食堂」はなんと、考学舎のあるビルの向かいで営業されているのでした。かつおご飯をいただいた弊舎スタッフが直々にゲスト講義のゲストにお誘いし、永松さんが快諾してくださり、こうしてゲスト講義が成立した、というわけです。

永松さんがかつおぶしに出会うまで

かつおの背の色に寄せて一部藍色に染色した髪の毛から、耳に着けたかつおぶし入りのイヤリングに至るまで、かつお愛がとめどなく溢れる永松さんではありますが、実際にかつおぶしに魅了されたのはそれほど昔のことではなかったようです。ある時出会った一杯のお味噌汁が、永松さんの人生を大きく変えることになりました。
当時、契約社員として社会に出てご活躍されていた永松さんですが、ある時、実家の福岡に帰省したことがありました。その際、永松さんのお祖母様が、お祖父様からもらったという削り器を使ってかつおぶしを削り、それを出汁にして永松さんにご馳走されたのが、そのお味噌汁でした。勉強は苦手、特に就職もしたくなくて選んだ契約社員という生き方。楽しいのは夜の活動(クラブ通い)…。その生活に不満があったわけではないけれど、永松さんは、そのお祖母様のかつおぶしを削る姿に、価値観をひっくり返されるほどに魅了されました。そこから永松さんのかつおぶしを巡る旅は始まりました。入手した削り器を抱え、南は宮古島から北は気仙沼に至るまで、かつおぶし作りを巡る旅です。そこには、凝縮された日本文化がありました。

かつおぶし伝道師としての働き

かつおぶし伝道師としての働きは、早くも5年が経過しています。「人がやったことを自分もするのがあまり好きではない」という永松さんは、かつおぶしの魅力を広く知ってもらおうと、全国津々浦々にてかつおぶしワークショップを開催しています。このワークショップ、かつおぶしについて勉強して知ってもらうよりも、体を動かして体験して知ってもらうことを大切にしています。このような活動をしているのは、「日本で唯一」だそう。また、2020年の東京オリンピックの足音が近づいてくるにつれて、和食にも注目が集まり始めており、これにともなってかつおぶしも脚光を浴びています。そのような働きをとおして、「かつおちゃん」は徐々に世間に認知してもらえるようになり、今では「どうもありございます」などの「かつお語」も巷で使われ始めているとか!?

永松さんにとって仕事とは

このかつおぶし伝道師も、スタートはほぼ趣味同然のものではありました。それまでは契約社員として、特にやりがいを感じていたわけでもないけど、我慢して働けば自由を手に入れられると思ってがんばっていました。実際に、それなりに自由に楽しい日々ではあったと思います。

その一方で、かつおぶしの魅力に引き寄せられ、この魅力を世間に広めていきたい一心でかつおぶし伝道師として社会に出てみましたが、それまで経験したことのない辛いこと、めげることも多々ありました。

しかし、自由な発想で伸び伸びと仕事ができる、ということは、お金やレジャー、悠々自適な生活には代えられない楽しさがあります。習い事も全然続かない性格の永松さんでしたが、一度その世界に没頭するとその後は続けられるもの。同じく「自分で何か事を始めた」他分野の方々に背中を押され、励まされながら、「好きなことを“仕事”に」という生き方に没頭しています。

いよいよ、「かつお」について大いに語る

永松さん、自分のことについて語った後は、いよいよ「かつおとかつおぶし」について語ります。かつおの話になると、それまで以上に生き生きとした熱を帯びて拍車がかかった永松さん。

まず、かつおが日本列島付近までに来るには、相当な長旅を経ています。赤道付近で成長したかつおは、そのまま黒潮(日本海流)に乗って春先に沖縄付近にまで漂着、四国を経由し北上、東北付近で親潮(千島海流)にぶつかったところで南下(戻りがつお)、ほぼ逆ルートをたどりながら、日本が冬を迎える頃にはフィリピンの方へ…と、一年をかけて回遊しています。なので、かつおは太平洋側、宮古島から気仙沼にかけて捕れる、というわけです。

そうして水揚げされたかつお、その一部がかつおぶしに姿を変えるわけですが、立派なかつおぶしになるまでには、なんと半年もの歳月がかかります。しかし、その半年のうちに、かつおぶしは硬度8のトパーズと同じ硬さにまで成長します(ダイヤモンドは硬度10)。

かつおぶしになるべく工場に運ばれた新鮮なかつおは、4枚におろされた後、90度で2時間、グツグツと煮られます。その後、水に浸されひたすら骨抜きにされます。骨抜きにされることによってできてしまった小さな穴を埋めるべく身(実)が塗り込まれます。骨抜きにされたかつおの身(実)は、火で燻され、焦げ目を削られ、天日に干されながらカビを生やされ、そのカビがかつお内の水分を吸収して身を固くし、この天日干しとカビ付けが4ヶ月ほど繰り返され(そこでようやく食べられる状態のカビに変化)、そしてようやく「枯節」という香り高いかつおぶしが出来上がります。ちなみに、カビの工程を省いたかつおぶしは「粗節」と言い、味がしっかりしているため、お好み焼きにまぶされたり、というところで使われます。ご家庭用によく使われるミニパックなども、「粗節」が使われています。

そんな苦労の末に出来上がるかつおぶしの歴史は驚くほど長く、古くは縄文時代に保存食として食べられていたそうです。日本最古の書物である古事記に「堅魚(カタウオ)」が登場するのですが、これが後に「鰹(カツオ)」と呼ばれるようになりました。

「かつおぶし」としての定着は、江戸時代中期頃。紀伊の国(現在の和歌山県)の漁師が現在のかつおぶし製法のプロトタイプ(原型)を発案し、かつおぶし作りの基礎が作られました。それが巡って土佐の国(現在の高知県)にたどり着き、この土佐の国で燻された(だけの)かつおぶしを江戸に運んでいるうちにかつおぶしにカビが生え、カビが生えていたら謹呈できない、とカビを取り、取ってはまた生え…を繰り返しているうちに、偶然の産物としての、硬くて香ばしい枯節のかつおぶしが江戸に到着、ヒット商品として受け入れられた、というわけです。

出汁に使われ、薬味に使われ…と、なかなか料理の主役に躍り出ることのないかつおぶしですが、栄養は驚くほどに豊富です。高タンパク(しかも良質)で低カロリー、不足しがちなカルシウムやミネラルも多く含まれています。ちなみに、旨味成分であるイノシン酸は、カビを生やす工程を通った枯節にのみ存在します。

15:00 「かつお」ワークショップ

かつおの魅力についてたっぷり伺ったところで、早速、永松さんが普段「かつお食堂」で使われているかつおぶしと削り器を使って、参加者みんなでけずりぶしを作ってみよう、ということになりました。
「まずは、削り器の刃を、コピー用紙くらいの薄さに削れるように調整しましょう」
「かつおぶしは、骨の向きに従って削るんですよ」
などなど、永松さんの経験をもとにした指示はとても具体的で、生徒たちも安心して積極的にけずりぶし作りに没頭しました。

前述のとおり、かつおぶしはトパーズと同じ硬度を持っているわけですから、想像していた以上に力の必要な作業でした。考学舎が誇る屈強な男たち(?)でも汗をかきながらようやく削れる始末です。それを、細腕のかつおちゃんは事もなげに立派なけずりぶしを次々と削り器の中に削り落としていきます。経験に勝る財産はないな、と実感した瞬間でした。

もちろん今日のワークショップは、削って終わり、ではありません。まずは自分たちで削ったかつおぶし、それと、永松さんが削ってくださったかつおぶし、それぞれの食べ比べ。普段はまったく気にも留めないことですが、絶妙な厚みと大きさで、味がこんなにも違うのか、と素人一同、驚きを隠せませんでした。

大小厚薄さまざまに混ぜ合わされたかつおぶしを使って、今度は「だし」をとってみます。考学舎のとても狭いミニキッチンに全員で入り込み、「こんぶだし」と「こんぶ+かつおだし」の飲み比べもしてみました。普段はきっと「だし」のことなど気にせずお母さんが作ってくれたご飯をいただいている生徒たちですが、「だし」にひと手間を加えると、ここまで味が変わるものか、ということを感じました。ひょっとしたらそれは微妙な違いなのかもわかりません。しかし、こうして大切に手間をかけてたどり着いた「だし」の味は、初体験ばかりの生徒たちにとっては大きな感動でした。

永松さんは商売道具まで持参してくださり、かつおぶしの魅力を存分に生徒たちに体験させてくださいました。かつおぶしの伝道師は、特別な方ではなく、青山の街を歩いていたら時々出会えそうな女性でした。そんなかつおちゃんが生徒たちに体験させてくださったことは、この日を迎えるまでに期待していたものとはまったく違ったものであったと思います。驚きと感心の連続。通常授業の合間に階下のコンビニで購入してきた食品に親しんでいる生徒たちにとって、非常に貴重な経験となりました。みんなで「ありー!」と元気に挨拶して、この日のゲスト講義を終えました。

アンケート結果

  • 好きなことを貫き通すということの難しさとすごさを知った。
  • かつおちゃんの「かつお大好き」がとても伝わってきて面白かった。
  • 好きなものに取り込まれて生き方が変わる経験はすごいと思った。こんなこと、自分にもあるのかな…。
  • 人生って何があるのかわからんな、と思いました。
  • かつおぶし削りは大変だったけど、うまく削ることができたときは嬉しかった。
  • かつおぶし削りの力の入れ具合がとても難しかった。
  • 次はもっとうまく削りたい!

ふりかえり

まずは、お忙しいところ、快くゲスト講師をしてくださった永松さん(かつおちゃん!)に心からお礼申し上げます。身近なようで、普段気にすることが少ない「かつお」にはまりそしてそれを仕事にするまでに発展させた彼女は、小さな体からプラスのパワーがあふれていました。そんな彼女から、生徒たちは食と職について、多くを感じ取ってくれたのではないかと思います。鰹節が食の基本であるように、好きなことを仕事にすること、も実は職の基本。基本は見えにくく、そして実現が難しい時代ではあります。でもその一方、これからは今まであった仕事は減っていきます。新しい、人間にしか出来ない仕事、そして自分がはまれる仕事を、一人でも多く見つけてくれることを祈りつつ。(S.S)

日頃、生徒の皆さんが自分の将来についてどのようなイメージを持っているかはとても気になるところではありますが、「好きなことを仕事に」と思い描いている生徒は、現実としてそう多くはないのではないかと思います。そのような中で、今回のゲストである「かつおちゃん」は、「好きなことを仕事に」という一見当たり前のようでいて実現するのも難しいテーマを快く紹介してくださいました。
実はこの日、ゲスト講義の準備をしている最中、永松さんから「生徒の皆さんに、私がクラブ通いしてた頃の写真を見せてもいいですか?」と打診されました。永松さんは、かつお伝道師として「好きなことを仕事に」している姿ばかりでなく、その以前がいかにかつおから遠い生活をしていたか、というリアルな姿を見せてくれようとしてくださいました。
永松さんはたしかに「好きなことを仕事に」されている方ですが、その「かつおが好きだ」という思いをいかにカタチ(仕事)にするか、というところで、私たちの想像をはるかに越えた実現力をお持ちの方であるのだと思います。「好きなことを仕事に」するには、特別な人が特別な技能をもって、というわけではなさそうです。永松さんは、「大学まで出してもらった両親には、学歴と全く関係のないかつお伝道師になるために、土下座までしてお願いした」とも仰っていました。偶然に得られた感動をカタチにしていく「実現力」、それまでの自分の像とかけ離れていても「自分はこれで社会に貢献したい!」という「積極的展開力」。もはや不惑を越えた私ではありますが、今からでもかつおちゃんに見習って身につけたい二つの力です。貴重な機会、ありがとうございました。(H.K)